FIRST ヘアカラリスト 吉田京介のブログです

Kyosuke Yoshida

FIRST KICHIJOJIでヘアカラリストをしています。美容師ですが髪は切りません。ヘアカラーのみの美容師です☆



#私が〈カラリスト〉を選んだ理由


いくら少数派といえど、
実績のある方々がいる中で4番手とは僭越ですが。。

まず「はじめまして」の方も沢山いると思うので
FIRSTヘアカラリスト吉田京介です

この話をすごく細かく誰かに話したこともないのですが
もし同じような想いや境遇の方がいたらと
せっかくの機会です

長文になりますがどうぞお付き合いください。
(なげーよ!て思ったら、****からが核心です笑)
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まず美容師になったことから
この話は始まります。

ビューティフルライフ
(あぁかっこいい美容師...)
中学から高校頃に、裏原系に憧れ
朝からお小遣い握りしめガキンチョが
部活が休みの土日は
服が大好きな友人と発売日に好きなブランド前の長蛇の列に並び

シザーズリーグやカリスマブームで
原宿のサロンは賑わい、ませガキは羨望の眼差しで原宿に通っていたと思います

そんな多感な湘南のガキンチョだったと思います

でもサッカーが好きで中学の頃に
キャプテンで上手くもないのに
リレーの選手だったし足がそれなりだったし
ドリブルが好きで前園選手になりたかった僕
「イケる!」と勘違いした僕は

その当時全国ベスト8の学校に入り
ゲーム形式しかモチベーションも上がらず
先輩にはすぐ目をつけられ、、
(グラウンド裏で正座したり部室に呼び出し
とかありましたよね
当時のサッカー部って。。笑)

今思えば大した努力もしなかったのに
広大していた変な自信は
当然のように全く歯が立たなくなり、

比例するように1年生までトップクラスだった
学力も最下位争いをするように
(当時の高校のテストは順位が出ました)


さて自分の人生どうしよう。。
ここで当時通っていた美容室の
美容師さんが参加していたコンテストを
なぜか観に行くことなるのです

今でも誰がどういう感じで表彰されていたか
どんなスタイル、カラーか
なんだか脳裏に焼き付いてます

そこでスイッチが人として入った気がします

専門学校時代に色彩検定を最後までとって
実技も学科も追試は受けたこともないし

問屋さんに通いバイト代でカラー剤を買い
学校のコンテストのウィッグとか
友達の髪をファンタスティックにしてたのを
覚えてます
(美容学校あるあるですよね、、、)

知識もないのにファンタスティック
これほど最強で最恐なものはないです
(えー嫌だと当時の彼女にフラれそうになった記憶も蘇ります)

だから、何故だかヘアカラーが好きだったのを覚えてます


でも専門学校時代に《夢》をクラスの前で
語る時間があって
「カットコンテストで優勝します」
と言ったし
全くカラリストというのは考えてなかったと思います
(あっちなみにこの頃今より15kgあった太っちょボーイです)

当時まだ美容師ブーム
(履歴書の半分が写真とか結構当たり前)
おしゃれに着飾った太っちょボーイを雇ってくれる所はなかなかありません

何社かの最終面接でカラーの話だけをしたのと
カラーコーディネーターになりたいと訳も分からず話をし
『僕、一番になりたい』と話したのを覚えています

そんな中、
『あなた痩せたらイケてる気がするわね
でもそれ以上太ったらクビよ
ホホホっ』
と言ったFIRSTの社長に出会うのです

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長々とすみません。
ここから核心です。

FIRSTに入社し
サロンが過度期になった25歳の夏
一つ目のターニングポイントが訪れます
当時の先輩が去り
勢いと自信だけある勘違い若手スタイリストだった
右も左もわからなかった僕

この頃、何も知らない強さがあって

先駆者や沢山の著名の
ヘアカラリストの人たちのなかで
全国をセミナーで周る事になったのですが
平気でずけずけと話し込む図々しさがありました、そして意見も言えるし緊張しないという心臓。武器はそれだけ
(今思うとこわい。。)

でも、でも、口デカく、技術がない美容師ほどカッコ悪いものはないと気づくのです

自分の普段のサロンワークとの
ヘアカラークオリティの違いに
愕然とするのです

(よいカラーでスタイルが引き立つな…)
(よいスタイルによいカラーで輝きが変わるなと…)

純粋なカラリストでないのに
カラリストとアナウンスされてステージにあがったり、カラリストという表現や
全国を周る自分の矛盾にモヤモヤもしました

カラリストという肩書きは

『ヘアカラーを本気で向き合い、プロで生きる人間こそが発していい言葉。
自分はハサミももって、、それだけに命を注がなきゃじゃなきゃ偽装だし、命を懸けてる人に失礼だな…』

『カラリスト…そこに誠心誠意向き合った先の色々な景色を見てみたい!』

と思ってくるのです
きっとこの頃相談した人もいたから
この当時、
カラリストの友人ばかりが増えた気がします

そして最後のターニングポイントが二つ

《モヤモヤしてる奴は売り上げ上がらない
=実際ハサミを置く最終月以外は横ばい》

《挑戦したコンテストで何も入賞できず、
W社のト◯ンドビジョンで
当時から相談をしていた友人?が優勝》

最後に焼肉屋で決断したのを覚えています


そこから、オーナーへの行動はもうすぐだった気がします
それが9月末

10月頭
《僕、カラリストになります。そこで何でもいいから一番になりたい》

『フフフ、いんじゃない?じゃあ今週末までにお客様とスタイリストのこれからの動きをレポート用紙にまとめて提出して』

『あっ4月から完全分業にするから、あと2ヶ月で引き継ぎ始めて、3月に最高売り上げだしてね』

そんな感じでしたね
40年近くやってきたオーナーのフットワークの軽さがなかったら、このサロンでのカラリストは選べなかったと思います

お客様へは、自分がカット出来ない未練みたいなのは
思いは決まっていたし、
自分よりカットがうまい、もしくは
上手くなるわけだから、
他のスタイリスト陣に委ねるのは何の心残りもありません。

お客様がよりよいスタイルになれば
あとはよりカラーが上手くなれば
FIRSTのクオリティは必然的にあがる
=今のお客様は満足してくれるし、お客様ももっと増える
そう思ってました

あとはそこに
・自分がカットをしてたお客様たちが協力してくれた事
・スタイリスト陣が自分がカラーをしてた人たちを快く預けてくれた事
・オーナーがまず喜んでくれた事

本当に当時恵まれていたなと今は感じます

《カラリスト》ですと自分の肩書きを自信を持って言えるようになってまだ5年もたちません。

山あり谷あり、苦難もあった
でも当時、志を受け入れてくれた
スタイリスト陣がほぼ今のパートナーとして残っていること

少しづつかすりもしなかったコンテストもまだ一番じゃないけど入賞出来るようになったこと

カラリストを志したアシスタントが入ってくれて努力してくれていること

また道の途中
でもこれが本当に嬉しい

今はまだ道の途中
カラリストはカラーをするだけ
スタイリストはスタイルをつくるだけ
そんな《分業制》じゃなく
(なんか分業て言葉は《ただ分かれた業種》
て言葉に聞こえて嫌で、、)

完成されてないからこそ柔軟に動ける
FIRST独自の
カラリストだけで創り上げるFIRSTの《カラリスト》じゃなくて
柔軟にスタイリストがカラーを発想してみてもいいじゃないか
カラリストがもっとスタイルを語ってもいいじゃないか
スタイリストとアシスタントと一緒に
創り上げるそんなお店がみんなの夢でいたい

《カラリスト》を選んで良かった
挑戦してよかった
(まだスタートからちょびっとだけど)

挑戦する人には挑戦する人にしか
見えない景色があると言われたことがあります
もっと高い景色が見たいものです


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日本には日本の独自の文化もある
少数派だからカラリストを日本に
もっと増やそうとは思わないけど
カットもカラーも上手い美容師さんも沢山いるし。本当に凄いし尊敬する
でも、それと同時に海外のいいところも
日本の大先輩の先駆者たちもいる

だからカラリストを選択した僕は

努力し続け挑戦し続けたいと思います
跳ね返されようとも

日本のカラーという価値と文化の一端として高めたい!

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ホントーーーに長々と申し訳ありません。
きっとこんな恥ずかしいこと語ることはありませんが、、
最後までありがとうございます。

全国くまなくカラリスト達にこのリレーがまわり
実はうちのカラーアシスタントまでこのリレーが回ることを祈ってたりしてます★

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FIRST Haircolorist

吉田京介

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